アラサーヲタクの戯言

J事務所とびじゅある系が好きなアラサー女の思ったままを書くブログ

KAT-TUN

この話はKAT-TUN担当ではない私が書くべきではないのだろうが心に留めておけない想いが溢れて止まらないので支離滅裂でも書く。
憶測や噂など大変失礼な書き方をしている所もあるがご容赦いただきたい。


ベストアーティストでのじゅんのの突然の脱退&退所発表。
\キンキ!!!/(パンパン!)
\キンキ!!!/(パンパン!)
と盛り上がっていた私のTLも、皆さんと同じだと思うが「え?」がひたすら並んでいた。
理解ができなかった。
なんで?来年10周年でしょ?四人になって軌道に乗ってるときじゃないの?春に10周年の全国ツアーすると思ってたよ?

そりゃ~そりゃ~画面を直視できなかった。

ツラい…なんだこれは。

光一さんのバックをするために結成されたKAT-TUN
90年代後半からキンキが大好きだった私。
だがキンキとは年齢が10才近く違い、私が彼らを知った時にはすでに何年も芸歴を重ねたカッコいいお兄さんだった。
それに比べてKAT-TUNはほとんど同じ年齢で、キンキを追いかけていた私にとってはそれこそ初めて結成から全てを見るグループだった。
勿論、キンキが私の中では一番なのはそれはそうさたしかにそうだけど、ジャニーズがダサいと言われていた私の周りの人間すらも巻き込んだKAT-TUNはそりゃもう会話の中心だったし、本当に大好きだった。
私の青春を語る上でKAT-TUN抜きでは語れないほどKAT-TUNは特別なグループだった。

THE今時の若者!と言った感じの茶髪にブリーチした細眉、首にはネックレス、腕にはブレスレット。着崩した服と腰パンで周囲の言葉に素直に従わない、これが個性だ!と主張する彼らが、思春期まっただ中でイケてるイケてないを気にして生きていた私には何より輝いてみえた。

着崩すことになんの輝きもなく、ただの反抗に過ぎなかったことは後のメンバーからも「今、KAT-TUNみたいな後輩いたらブッ飛ばしますね。今になってあの時の先輩の気持ちがよく分かります(苦笑)」と言う言葉が出たがその時はこれが物凄くカッコ良かったのだ。
勿論、反抗するカッコ良さだけではなくそれまでのジャニーズにはなかったまとまりよりも個々の個性とワイルドでセクシーを推している所。
キラキラと言うよりもギラギラしたような楽曲を歌う彼らは本当にカリスマだった。

そんな個性のぶつかり合いで自由なグループが大人になった結果、着崩すことが間違った個性の出し方だと気付けたメンバーは礼儀を重んじる大人に成長し、気付けなかったメンバーはジャニーズなんてダセェ。と言うもっとダセェ態度をとり仕事に対する意識の差が明確に見られるようになった。

そんな中での仁の脱退。
アメリカ留学前のグループ内のギスギスした感じが帰国後は幾分和らいでいたものの、それからのやる気の無さもよく目にしていたので脱退に関しても多少ショックは受けたものの「あ、やっぱりね」と言う気持ちの方が大きかった。
5人で再出発するKAT-TUNにワクワクした。

聖の脱退。
良くない噂はよくされていたので聖の脱退も予感はしていたものの、仁の脱退を経験して辛かったのになんで…?どうして…?と言う勝手な失望があった。

でも残されたメンバーが脱退した二人を責めなかったこともあり、私も失望はしたもののそれぞれの選択を間違いだと思ったことはなかったし、続けていた所で遅かれ早かれ辞めていただろうと思うので今でも二人の選択は間違いではないと思っている。

二人が抜けたKAT-TUN
世間的にもKAT-TUN=好き勝手やって減る人たち。
残ったメンバー可哀想だしどうするの?
そんなイメージがついてしまいこれからどうなるんだろう…そう思いながらも強い気持ちで再出発した四人。
KAT-TUNが初めてまとまっている。
ジャニ離れしていた私ですらそう感じた。

そして最近ではそれぞれにキャラが定着してきてファン以外からも覚えられ、好感を得ていたと思う。
特にじゅんのに関してはダジャレが定着し、所さんのニッポンの出番を毎週見てはニコニコしながら楽しんでいる彼にこちらも嬉しくなったし、ゲイの方々に笑顔で揉まれるVTRには無限の可能性を感じた。ジャニーズにはなかなかいない180㌢を超える長身と小顔でもっともっとジャニーズのドラマ枠を拡大してくれるんだろうと勝手にわくわくしていた。
来年の10周年も間近に控えKAT-TUNはどうなるのかな?と楽しみにしていた。

そんな良い状況でのじゅんの突然の脱退&退所発表だったからこそ、とてもじゃないが受け入れ難く、なんで?どうして辞める選択をするの?と言う思いが強かった。

だが仁と聖、二人の脱退を経験し、残されたメンバーがどれだけ傷付くのかを分かっていてなお脱退と言う道を選んだ彼の気持ちを考えると並大抵の決意ではないのだなと分かったし、彼の人生は彼のものだからそれをとやかく言う資格などこちらには無いのだと言うことも思った。
思ったのだが、残りのメンバーのコメントを読んで、納得できていない複雑な気持ちが表れていて心が痛くなった。

KAT-TUNがどうなるのか。
KAT-TUNがなくなってしまうかもしれない。今こそファンの声が必要な時」ととある芸能レポーターの方は言っていた。
こちらの気持ちとしてはKAT-TUNに無くなって欲しくない。
でも私は複雑だった。
残されたメンバーはどうしたいのか。
彼らの人生は彼らのもの。
彼らが望まないのならいくら自分が望もうと声を出すべきではないのではないか。
上田くんと中丸くんのコメントからはKAT-TUNを続けたい、無くしたくない、そう思っているのだなと理解した。
じゃあ亀は?亀のコメントを読んでもKAT-TUNを続けたいのかどうなのか。
それだけが分からなかった。

どうしたら良いのか。どうなのか。
泣きたくなる感情の中、ひたすらにグルグルと悩んでいた。

そんな中、この文章を書いている途中に亀がファミクラでファンと直接触れあい、「KAT-TUNを続ける」としっかりと意思表示したと言うのを見た。

私の心は決まった。

じゅんのショックから抜け出せず、彼の人生を応援することも彼の選択を批判することもできなかった私の心がハッキリとした意思表示をしていなかった亀のハッキリとした行動ですべてが納得できた。

KAT-TUNはもっともっと結束を固めてもっともっと大きくなるだろう。
また新たに生まれ変わったKAT-TUNに無限の可能性を感じる。

彼らの人生は彼らのもの。

これからどんな選択をしてどんな風になるのかは分からないがどんな選択だろうと目をそらすことなく真正面から受け止めたい。



勝手にKinKiの2016~2017年予想

SHOCKの来年の公演が発表され、地方は無しとのことでKinKi事だと大体予想がついた所でこうだったら良いなぁ~と思うことを書いてみた。

 
 
2016.07.20→Nアルバムリリース。
 
20周年に向けてでNってことで原点回帰って意味で中立や中性って意味のNeutral、20周年の次の年へって意味のNEXTや新たな気持ちでって意味のNEWってコンセプトのあるアルバムになりそう。
 
2016.07.21→デビュー19周年記念日。東京ドームでコンサート。
この日を皮切りとした2017.01.01までNを中心にした20周年に向けての全国ツアー。
2016.12.31と2017.01.01のカウントダウンは京セラドームで単独コン。
 
2017年2月~3月まではSHOCKとシャマの各ソロ。
 
2017.03にベストアルバムリリース(39的な)
 
2017.04.10に剛さん誕生日を皮切りに今度はベストツアー始まり
 
2017.07.21のデビュー20周年を東京ドームでやって金曜日なのでMステでも中継。
 
2017.09→SHOCKの梅劇、平安。
 
2017.10→SHOCK博多。ソロ。
 
2017.11→Oアルバムリリース
 
2017.12→Oアルツアー
 
 
これだったら幸せだし大体の予定も合うんだけどなぁ。
あとは二人でドラマもやってほしいのでドラマもあったら幸せすぎる。
それと10周年の時にΦを出したから何か違うアルバムを出すのかもしれないし2017.03予想のベストアルバムを2017.07.19に出す可能性も高いな~と。
こんなだったら幸せだなぁ。
本当は2017以降も少なくとも五大都市ではやってほしい。
 
あぁ、予想するってタダだし楽しい

今年のV6を見ていて思うこと

学校へ行こう!復活SPが終わり、世代ドンピシャな私は「ジャニオタと見た方が面白そうだから」と言う理由だけで車を飛ばして1時間かけて我が家に来た友人(バンド好き仲間)と姉と共にすき家のドライブスルーで購入したねぎ玉豚どん(並)にがっつきながら一緒に見た。

実に懐かしく面白かった。
あの頃と違うのは自分が学生ではなく社会人になりそれなりに色んな経験をしたことや大人の事情を分かることになったことだろうか。

それを抜きにしても本当に楽しかった。
あんなにも学生にスポットを当てた番組が面白いって凄くないか?
V6が「学校へ行こう!」と言って学校へ来てくれ、自分達も翌日「学校へ行こう!」と楽しみになれる番組って凄くないか?

そして番組を観ていてなによりもV6の面々の魅力が満載だなぁと思った。

今年、V6は20周年。
昨年末の紅白。今年の夏の各TV局の歌番組でのメドレー。全国ツアーと色んな所でV6の20周年を意識する露出を見る。

そのどれもがそれぞれが20年で培ったスキルとグループとしての20年での絶妙な距離感が合わさった魅力満載V6で見ていて幸せになる。
あぁこんなに幸せそうな雰囲気に包まれた壮年のおじ様たちのグループ見ちゃったら即惹かれちゃうよなぁ~とV6ファンの若い子が増えているのを見ていて思う。

ジャニオタではない人と話していてもよく「V6いいよね~」と聞くことも増えた。

その伝わる魅力は、きっとV6のメンバーが周りの人を愛し続けてきたからこそ生まれたんだろうなと思う。
愛って目では見えないけれど行動や言葉に出る。
優しく触れたり感謝を口にしたり時に厳しくしたり…。
きっとV6のメンバーそれぞれが色んな所で自然とやってきたことが愛だったんじゃないのかなぁ。
20年、V6から受け続けてきた愛を色んな人がV6に見える形の愛で返そうとしてこんなに素敵な20周年になったんじゃないかなって。

戦略的なこともあったのだろうがその戦略でみんなが幸せになるってことは根底にV6の良さがある訳で。

メンバーは今年は感謝を伝える1年だと言ったけれど、きっと常々その感謝を伝えてきたからこその今年だったと思う。

20年経っても進化と愛を忘れていない人たちが集まると自然と周りを惹き付けるし、愛が集まる。
これって凄いなと。

その愛がある限りV6は進化し続けるんだろうな。

そんな風に勝手に思ったKinKファンの私。
羨ましいだとかそんなことじゃなく、V6を見ていて思ったことを書いてみた。

愛ってなんだ?苦しいものか?楽しいものなのか?

頭の中をKinKiのlOve in the Φ(※Φアルバムの中の一曲)がずっと流れている。その歌詞の中の一節がぴったりだなぁと思ったのでタイトルにしてみた。

 

「誰かのファンでいること」

 
ただそれだけのことなのに、でもただそれだけでは済まなされない何かがある。だが1つ、「自分の理想とするファン像」と「推しに理想を求める自分を正当化すること」への固定概念にとらわれたら終わりだなと最近よく思う。
正確に言うと終わりの始まりだなーと思う。
 
自分の中で「〇〇しなければファンと名乗れない」と思う事項が多くなり、できない自分にイライラし、「私はファンだと名乗る資格がない」と疲弊する。
挙げ句の果てには「雑誌も碌に買わない人にファンだなんて名乗って欲しくない」と他の人に矛先を向けることになったり…。
その内好きなアイドルにすら「なんで私の思う〇〇をしてくれないの!」と勝手なことを思ったり、アイドルやアーティストを取り巻く環境にすら文句を言い出す。
こうなるとファンを辞めるか、自分が低俗なファンになってしまっていることすら気付かず生きていくことになる。どちらにしろ終わっている。
 
そもそも「ファン」に明確な定義なんてものはないし、「好き」と言う感情があるならそれだけで良いのではないだろうか。
「私みたいなにわかがファンだと名乗って良いのか…」と悩む人がいるらしいので言わせていただきたい。
 
良いんです!!!!!!!!
 
ファン歴によっては分からないことだってたくさんある。
私だって分からないことが腐るほどある。
でもそれで何の優劣が付くのか。
私達はアーティストやアイドルなど推しの親族でも友達でもなんでもなく、ましてや本人の気持ちなんて本人にしか分からないのだから考えたり感じたりすることはできても全ては絶対に分からない。
 
雑誌を買う、CDを買う、DVDを買う、TVを録画する、コンサートに行く、グッズを買う。
買う方がアイドルにとってはお仕事の成果が上がるのだからとても意味のあることではあると思うがそれはこちらの「義務」ではない。
 
これは私自身が一度ジャニーズ離れをしたからこそ気付けたことでもある。
離れる前はそれこそ雑誌全買い、CD複数買い、DVD初回通常買い、TV全録画をしてこそファンだと信じて疑わなかった自分がいる。
でも離れる前の数年は「ファン」だと言える“資格”が欲しいがために興味が薄れてきていたにも関わらずCD複数買いなどを続けていた。
結果どうだろう。封の開いていないCDが棚に並び、何の幸せも得られていなかった。
トキめいて嬉しくなって幸せをくれるからこそお金を使いたい!義務と化した私はそう思うことすらできなくなっていて、あった思いは苦しさと悲しさと私を夢中にさせてくれないアイドルへの不満だけだった。でもその義務すらも愛だと勘違いしていた。
今思えばそんなもの愛でもなんでもなくて自己満オナニーだったんだなと思う。
勿論、生身の人間を好きになるのだから、愛ゆえに悩んだり落ち込んだり涙したりはある。だがそこに愛があるならそれを上回る幸せもあるはず。
 
私は変なモンペになりはしたがこの自己満な愛を悪い行動に移すことなくファンを終えただけ良かった。
 
それからしばらく脱ヲタを経てV系バンドに夢中になった。
また二の舞を踏むかと思いきや、それからできた周りの友人たちに固定概念をぶち壊してもらって今日がある。
「ライブにたくさん行く人がファン」「CDたくさん買う人がファン」とかそんなことを言う人がおらず、ただとにかく好きだから楽しむ。
「楽しいから行く所増やす」「モヤモヤするから行かない」「CD聴いてないけどライブ行きたいから行く」「ライブは行けないから家でCD聴く」と色んな人間が集まっているが誰も他人を否定しない。
他人のことに目を向けて嫌な気持ちになるよりも己の気持ちに素直に生きて好きな人を見てトキめくこと、楽しむことを最優先させている友人に恵まれたおかげでどんな形でも「好きならばファン」それで良いじゃないか。そう思える自分に変えてもらった。
 
「義務」を果たしていった先に喜びがあるのか。きっとない
好きになることに「資格」も「義務」も「責任」もいらない。
 
己の気持ちに素直に生きれば良いと思う。
そこに他人と比べたり、他人を傷つけたりする感情は必要なくて。
 
ただただ好きな人を見て楽しんで幸せになってたまに悩んで苦しくなって現実を見る。
それだけでヲタク人生って素晴らしい!と私は思う。
 
そしてもし何かあった時には小島よしおの<そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!>を思い浮かべると良い。
大抵のことはそれで片付く。
 
 
 

KinKiファンを卒業するまでの時系列

このブログを始めた最初にKinKi沼に戻ってきたきっかけを書きました。
 
引用の仕方が分からずよく見たら引用できてなかったので諦め(笑)
今回は戻ってきた話ではなくいつ離れたのかを自分でも冷静に知りたくて書いてみました。
 
 
 

永遠に、心のどこかにはずっといる初恋の人のようなものなんだろう。

けれどもうファンに戻ることはないんだろうな。
そう熱しやすく冷めにくい私が心の底から思って離れたKinKiに堂本兄弟最終回で出戻って早10ヶ月。
出戻ってすぐに神番組ブンブブーンが始まり、Lコン円盤、Mアル、Mコン、SHOCKに小喜利にFUNKにSpiralにKinKiとしての夏の音楽番組…と色んなことがめまぐるしくあり楽しく過ごさせてもらっています。(ソロに関しては揃ったftr好き故にあまり熱がなく未経験…と打っていましたがこの文章を書くのに1ヶ月以上かかってしまったためその間にSpiralを経験してきましたw)
長年ファンをされているKinKiファンの方々の呟きを拝見すると、毎年夏は瀕死モードだったようで、いかに私は恵まれた年に出戻ったのかとひしひしと感じる今日この頃です。
 
この10ヶ月で離れていた間のCDやDVDを揃え(まだすべてではないが)、動画を見、KinKiファンならここは聖地!なんて所や知ってて常識!なんてことをやっとこさ少し理解できるまでになってきた所で、なんとなく私自身が以前はいつまでKinKiを追いかけていたのだろう?と疑問が浮かびました。
 
頭の中で辿って行くとあの伝説のMステ3回打ちひしがれ事件後からの記憶が薄い…
 
 
KinKiを知り、好きになったのが96〜7年頃。
この頃は猫も杓子もキンキキンキキンキキンキと言う時代でした。クラスの女子は全員が光一派剛派に分かれている時代で金田一と銀狼など土9を見るのが常識だった頃。ちなみに私は断然剛さん派でした。大きな瞳となんでも器用にこなす彼に惹かれました。
本格的に好きだ!と自覚し、TVなどを録画し始めたのが99年の頭。
一旦離れて再び戻ってきたのが昨年の堂本兄弟最終回。
 
2010年4月に今も通っている本命バンドにドハマりし、そこからKinKiにも再びハマる堂本兄弟最終回の2014.9.28まではKinKiから離れていたことは自分でも分かります。
ですが3回打ちひしがれ事件という後世に残していきたい素晴らしい事件が生まれたシングル、ビロードの闇発売~2010の4月までの私はKinKiヲタとして何をしてたんだろう?
気になったので押し入れのCDやDVDたちとともに調べてみました。
 
 
そもそも私の中の“ファン”の定義としては
・CDは全形態買いし、フラゲ
・VHSもDVDも必ず買い、死ぬほど見る
・TV録画はかかさない
・アイドル雑誌は毎月かかさず
・TVジョンなどの物凄く小さい記事もスクラップ
 
と言うのが当たり前であり最低限じゃないか?と思っていました。
あとはコンサートに行くことや番協と言う項目があると思うけれど、私自身に関しては九州の電車も通っていないような地方住みで小中学生ゆえコンサート参加は難しかったのでそこは除外願いたい…。
ちなみに出戻った今は好きならファン。それで良いじゃん。としか思っていません。
年月とは人をこうも変えてくれるものなのか…!
 
話が逸れてしまったが本題に戻ります。
 
まずは2005年。
ビロードの闇の発売が2005.6.15→全形態を買っている。封も開いている。曲もすべて分かる。が、カラオケで歌詞なしで歌えるかと言われると不可能だ。以前なら当たり前だった。おっと。すでに雲行きが怪しい。
ならば少し戻ってみよう。
2004.12.22発売のAnniversaryとKinKi selection2→限定セットを買って腐るほど聴いている。PVも大好きでもうたまらんほど色んなことが甦る。うん。必死なファンだった模様。
 
となるとビロ闇の頃には少し気持ちが下がりつつあったようです。
 
2005.8.3にアニバコンDVD発売→初日の福岡に入ってました。
初回を買ったがFコンを軽く300回以上見ていることに比べれば二人がどこでどういう動きをしていたのか全く言えないレベルの視聴回数。
 
2005.11.16にHアルバム発売→封は開いている。だがタイトルを聞かれても歌えない…
 
2005.12.21シングルSNOW!SNOW! SNOW!→CDの封は開いている。Mステなどの映像もキチンとDVDにまとめられている。でもやはりCWやBTは歌えない…。
 
2005.12.24~Hコンスタート。大阪東京のみ→思い出した…!
 
そうそう。先程コンサートに関しては除外願いたい…と書いたが、高校生になって親に死ぬほど頭を下げ、なんとか許して行かせてもらえていた。ちなみにFコン追加の福岡は申し込み時に高校生に成り立てで行かせてもらえなかったため未だに親を恨んでいますw
 
話を戻します。
Hコンで思い出しました…!
この頃にはV系を好きになっていてチケ代も比較的安かったため、親にバレずにお小遣いを貯めて福岡ならなんとか行き、行く度にズブズブとハマりまくっていました。
それによりKinKi熱が少しずつ落ちてきていました。
そんな思いの中、“コンサートに行けばきっとKinKi熱が再燃するはず…!!!!”と心のどこかで思っていたところに届いた幸せの青い封筒。それを開けた時の大阪東京のみの知らせに物凄く打ちひしがれました。
 
さらに隣のクラスの少し話す程度の友人が行けないと打ちひしがれてる私に「KinKi好きだよね?今度の大阪のコンサート姉が好きだから私も行くことにしたんだ~!私はそんなに興味ないけど~!」と言ってきた時にはぶっ飛ばそうかと思ったし(←)、多分その時に各々のソロであるSHOCKや堂本剛名義でも地方に来てくれないことに対するフラストレーションがかなり溜まっていたし、彼女のこの一言で好きなのに行けない自分が惨めになりかなり熱が冷めたと思います。
だからHアルバムもあまり聴く気になれなかったんだった…。
 
…読み返して見ると我ながら身勝手だなぁ(笑)
だがこの時はそうでした。
これは田舎である私の地域特有なので他県の方にはご理解いただけないかもしれませんが、高校生のバイトは県そのもので全面的に禁止であり見つかると停学になり内申書に響きます。しかも狭い田舎ゆえ、バイトしようものなら即、お客さんから学校に電話がかかるなんてこともあるような所。よって平凡に学生生活を送るとバイトはできません。
さらに我が家は親が厳しく、福岡のコンサートに行かせてもらうためにだけでも相当頭を下げたので遠征費など出してもらえる訳もなく、かと言って福岡より先に遠征することは自力ではとてもじゃないができませんでした。
 
小学生から何年も想い続け、Fコンに行けなかった悔しさを抱えたままやっとGコンに参加できた時の感動は今でも忘れないし、この喜びが毎年続くのだと勝手に勘違いしていた自分が悪いのだがそれを糧に生きていた自分にとっては唯一行ける福岡に来ないというのはあまりに辛かった…。
それに親友であり山P担当のYの就職も遠方に決まっていたので二人で参加できる最後になるかもしれないから思い出に!と期待していたのも大きかった… 。
 
そんなこんなでたしかHコンについては人様のレポを読んでは悔し泣きしていたような気がします。
それが嫌になりHコン東京レポは見ませんでした。
 
Y以外にキンキ友達もいなかったので情報を集めることは自力でしたし、KinKi話題を共有するのもYだけだった私にHコンで勝手に味わった挫折と敗北感は大きすぎました。
この時にはSNSが発達していたので使えば良かったのにと…今なら思いますが私はとにかくその手のことに疎かったし、何より自分と言う存在に自分が疑問を抱いているレベルの根暗人間だったので人様と交流できるようなスキルもありませんでした(笑)
ファンとして勝手にKinKiに捨てられたんだと感じたんです。
 
 
この頃から段々と情報を集めることもしなくなっていきました。
元々ソロ<KinKiの考えだったのにソロのあまりの活発化と、剛さんの己の心に素直にやっていることが受け止められなくなり心が離れ始め。
 
2006年。
2006.7.26発売の夏模様
2006.11.29発売のハモデ
2006.12.13発売のIアルバム
この頃には好きな気持ちより何よりも、今更ファンをやめたくないと言う意地が大半を占める中でファン(すでにこの時点でファンとは呼べないと思いますがw)を続けていたように思います。
DVDに音楽番組は収めているものの、CDシングルは全形態の封が開いておらず。アルバムは封は開いているものの出戻りして聴いた所、IDしか分かりませんでした。特典DVDも出戻ってから初めて見ました…。
 
2007.4.25発売のシングルBRAND NEW SONG
2007.7.18発売のアルバム39
2007.7.22開催の39イベント
2007.9.12発売のシングル永遠に
2007.11.14発売のアルバムΦ
 
BNSを最後にシングルを買わなくなったようです。
39アルバムも数回聴いたのみ。
せっかく就職して自由になったのに39イベントも仕事で行けませんでした。
ちょうどこの頃2004年から録りためていたHDDデータが吹っ飛び、KinKi熱が下がってからも見ていたお気に入りの映像は常に見たいし、手を付けたくないからとダビングしていなかったのですべてを失いました。(3回打ちひしがれ事件や僕らの音楽など)
大事なイベントも行けず、大好きだった頃の映像も全て失われたことがヲタクを辞めろと暗示されているのだろうか…と勝手な解釈をして自分の中でまた何かが崩れました。 
 
そしてこの年、好きなV系バンドがライブで私の住む県に来てくれました。
9月には今通っている本命バンドが初めて日本武道館をやったことも物凄く大きくて。
初めて遠征して感動して号泣しました。
初めて、記念!と言う大きなライブに行け、アーティストの後世に残る思い出の1ページに参加できた嬉しさは私にとってとてつもなく大きかったです。
V系は雑誌さえ追えばTVにはほとんど出ないので地方民ゆえに「関東限定なの!?映らないぃぃぃ!ギリッ」なんて悔しい思いをすることもないのも楽でした。
コンサートもツアーそのものが小さい会場で細かく回るので休みが少ない私でもどうにかなったのも益々ハマる大きな要因に。
 
この頃にはKinKi事はほとんど追わなくなっていました。
Φアルも買ったものの聴いていないし、あの伝説のΦコンに関してはWSで知りました。何度もキスを重ね~の二人を見て「うわぁ…これはちょっと…一般の人引くやろ…」と思ったほど冷静にKinKiを見ていました。仕事の休みがほとんどない状態だったのでコン参加も難しく、いまだ心の奥底でHコンでの苦い思い出を引きずっていた私は幸せの青い封筒を見ることすら苦痛になっていて、来ても封を開けることすらしていませんでした。だから緊急コンの開催も福岡に来る2日前に知りました。あの日、無理をしてでも緊急コンのチケットを探して福岡に行っていたら私のその後のヲタ人生はまた違ったのかもしれません。
でも結果としては行きませんでした。
ですが、Mステだけは録り続けていました。KinKiが出たら見て残しておく。まだほんの少しの未練があったから…。
2009.10.28発売のスワンソングまでは録ってました。2010の頭にHDDが壊れたのでそのまま録らなくなりました。
そして2010年の11月。10数年入っていたFCを辞めました。このときが私の中でKinKi=過去に完全に変わった瞬間でした。
 
ソロ事も調べてみましたがエンドリケリーがタンクをし始めた頃には情報についていけなくなっていたように思います。
空が泣くからのCDはあるもの未開封。White DragonのDVDも買ったものの未開封。
光一さんに関しても初ソロコンDVDの頃は腐るほど見ていたがその後出された+million~のCDは未開封。
 
KinKiと言うグループが好きでソロ事はKinKiを成長させるための個々のスキルアップの場所という認識だったのでソロ事がメインになればなるほどさらにKinKi離れを起こしていたように思います。
 
 
こうしてCDタイトルと出した時期を書き出しながら振り返ってみましたが書いていると好きな気持ちと好きでいたい気持ち、ファンをやめるのは惜しいと意地になっている気持ちなど様々な楽しい思い出や苦い思い出が走馬灯のように蘇ってきました。
 
今思い返せばその時に打ちひしがれたことなんて、たやすいことで、自助努力でどうにかなっただろ。と思いしますが後の祭りで、過去は変えられません。
KinKiが大変な時期に離脱し、楽しい時期に戻ってきた自分に引け目がない訳ではないですがこればかりは離れてまた好きになってしまったのだし仕方がありません。
 
離れていた間のことは仕方ないと諦めています。
 
でももし…、もしなんて言葉を使った所でどうしようもないのですが、もし願いが叶うとするならば初めて行ったGコン、行けなかったHとIコンの映像が欲しいです。
あの空間で何が行われていたのか未だに解決できない心のモヤを解決したいんです。
そして、これは個人的なお願いとして、KinKiの主な事件とKinKiに関して覚えるべき場所や出来事、人などのまとめが欲しいです(笑)
20年以上の年月を積み重ねたftrだからこそ尊いのですが、そんなftrを追いかけ始めた新規ファンにはその年月でのKinKiの常識が分からないです。私自身分かる範囲は調べたがなかなかに根気がいるし、調べても分からないものもあり勝手に寂しくなったりします(笑)
 
空白の期間の整理ができたことは本当に良かったですが私はHコンの挫折と敗北感を胸に抱いたままなのは変わりません。
その挫折と敗北感を拭う日を求めつつ、KinKiヲタライフを最大限楽しんでいくんだと思います。

アンコールって何なんだ?

ネットで話題の西川貴教さんの発言について考えてみた。

西川さんはTwitterで「基本は本編で全て完結しており、チケット代はこの本編に対して頂戴しております。更に求められ、それに応える心と心の呼応がアンコールです。本当に求めて頂ければ、いくらでもお応えします。ですから『もっと』のアピールは、強く大きくお願い致します」「アンコールは演る側も義務ではありませんし、お客様も強制ではありません」と発言していた。

以前から西川さんはこういった趣旨のことを発言していた。
今回は特に大きく取り上げられていたため少し考えてみる。


まずはアンコールってなんぞや?と言う所から。

アンコール (仏:encore)
アンコールとは、コンサートやリサイタルにおいて追加演奏を要望するかけ声のことであり、またその再演奏や、時にはアンコールで演奏された曲目のことも指す。転じて、一度済ませたことを再び行うこと(例えば、「アンコール放映」といった使われ方)。


要望。
要ることを望む。
まさにそうだよな、、


ここからは私の個人的思いを。

私の一番好きなバンドは正直、ファンのマナーが悪い。
アンコを言わずに化粧直しをして携帯を弄り私語をする。ドリンクを買いにロビーに行きアンコールが始まるまでロビーでダラダラしてそろそろかな?って時に戻ってくる。
打ちながら笑えてくる。
だが実際そうなのだから仕方ない。

そんな私は以前ならこういう人達なんてライブに来なきゃ良いのに。大嫌いだと思っていた。
だって私はアンコールを言うことに必死だったから。
良い子発言とかではなく、他のバンドでアンコールをやらなかった事例を知っているし、そのバンドにも通っていてコールは基本15分以上がデフォルトであり、もっと見たい!やって欲しい!と伝えるためには必死になることが当たり前だったから。
なので、一番好きなバンドのライブでコールをしていると「こんなにコールが小さくてメンバーが出てこなかったらどうしよう」と不安な気持ちと「マナーの悪い人等と同じファンと言う括りにされてアンコールが見れなかったら最悪だ!」と思っていた。
と、同時に「痛い目遭わなきゃ分かんないんだからメンバーも一度くらいアンコールをやらないと言う選択をすれば良いのに」とも思っていた。

そんなある日、本命バンドのボーカルがTwitter「色んな考えのアーティストさんいると思うけど、僕は一人でも求めてくれるのならアンコールをやりたい。」とハッキリと言った。

正直、救われた。

それまでのアンコールはイラつきと不安ともっと見たい!この3つがない交ぜの気持ちでコールしていたから。
私たち、やって欲しい、もっと見たい気持ちの人間が少数でコールをする意味があるのかと揺らいでいたから。

でも「一人でも求めてくれるなら」この発言は私に大きな意味を持たせてくれた。
100%の気持ちでアンコールを私一人でも言えばアンコールは行われるんだと思うと自分一人の力でもどうにかなることの嬉しさを知ったから。

この言葉を見てから周りの人間のことはどうでも良くなった。
隣が喋ってようが化粧直しをしていようがどうでも良い。
私は見たいから。
だからコールする。それだけで意味がある。

それからはコールすることが本当に楽しくなった。
一緒にライブを見る友人たちも同じ気持ちでいてくれている。それだけで意味があり、楽しい。そう思える自分がいる。


でも、たまに本当にファン全員が同じ気持ちでアンコールを求める時がある。
その時の出てくるメンバーの笑顔はやっぱり格別なものがある。

その笑顔と空気の素晴らしさも知っているから、毎回のライブがそんなライブならみんながハッピーなのに。
そう思う自分もいる。

義務でもないし強要でもない。けれど、コールをすることは自分のハッピーを伝えるための手段。ハッピーを伝えることで好きな人がハッピーな顔してもっとハッピーな時間をくれるんならやるべきじゃない?得するのは自分だよ?
そんな風に思う。

そんなババアの戯言。

ばんぎゃるな私がKinKi沼に再び浸かったきっかけ

どうしても簡潔にまとめることが苦手で書きたい欲が沸いてきたので書いてみた。
バンギャでありKinKiファンに昨年出戻りした私の話。


バンギャル
簡単に言えばヴィジュアル系バンドを追いかけるファンの総称。
バンドギャル。略してバンギャルバンギャ、ギャ、男ならギャ男(ぎゃお)と呼ばれる。
お化粧をした綺麗な方たちを追いかけ、重低音の効いた音に合わせて頭を振る。
詳しく知りたい方は蟹めんま先生の“バンギャルちゃんの日常”と言う漫画もしくは、ユー〇ューブかニコ〇コ動画で“淳子@れいたの嫁”を見て頂くと大体生態が分かる…笑


話を戻す。
私は元々小学生の頃から2コ上の姉の影響で剛さん寄りのKinKiを主とするジャニヲタだった。
姉は98年頃にはジャニヲタをやめ、GLAYやhideを追っていたこともありお化粧している方々に偏見を持つことはなかったが自分には関係ないとキラキラ輝くアイドルなKinKiに夢中だった。
CDショップまで片道車で30分、レンタルショップなどないドの付く田舎に住んでいたこともありコンサートに行くことは夢のまた夢だったがそのいつかを夢見つつ、お小遣いはすべて雑誌とCDに注ぎ込み、TV欄と格闘しながら録画する。
そんな熱心なお茶の間ファンだった。
 
中学の頃、キラキラしたアイドルだと思っていた憧れの人が苦悩している姿を見せるようになる。
やがて病気だと公表され、大好きな人が苦しんでいたのかとショックだったと同時にテンションの上がらない姿を隠さない剛さんを笑顔でフォローしている光一さんの姿に、計り知れない二人の支え合う精神をすごいなと思っていた。

だが段々とソロが増え、元々凡人でありアイドル堂本剛に惹かれていた私は奇抜さを通り越しエキセントリックになっていく剛さんに彼の“自分に素直に”やっていることの良さの何がKinKiに良い影響を与えるのか、光一さんがSHOCKをやることでKinKiにどう生かされるのか分らなくなり違和感を募らせていた。(今ならその考えに往復ビンタをしたい)
剛さんのよく言っている“愛”と言う言葉も当時はよく分からずカユくて馴染めなかった。

光一さんの隣にいない剛さん、剛さんの隣にいない光一さんに惹かれない自分がいた。
堂本光一堂本剛二人が並んでいるKinKi Kidsが好きなんだなと痛感した。

そんな頃にふと見たTVに出ていたJanne Da Arcに射たれた。
頭を振って音にノる。新世界を見せてくれるキラキラした人たちに出会った!と言う衝撃と歓喜
メンバー5人の曲を弾いている時の凛々しさと、それ以外の時の下らない冗談を言い合う仲良し空間のギャップにズブズブと沼にハマっていった。
だが見せる笑顔とは裏腹に大人の事情に翻弄された5人の中で歪みが出ていたようでこの数年後に無期限での活動休止。
この時、私はハタチ前後だったと思う。
私自身も社会人になり、精神的に参ることの連続に、彼らの苦悩と生身の人間を応援していくことの大変さ、大人の事情とやらを真剣に考えるようになる。(かなり遅いとは思うが)

違和感を感じながらも追いかけていたKinKiのことも少し理解できるようになっていた。でもやはり活動に不満があった。KinKiがどこに向かうのか、向かいたいのか、深く、ずっと追っていたいという気持ちが薄れてきていた。

そしてこの頃、とあるバンドにどハマりした。

リリースもコンスタントで、全国ツアーも年に何度かしてくれる。
ソロ活動はバンド活動に支障のないようにアルバム制作中などの地下活動中のみ。
TwitterやFCブログで個々の想いを話してくれたり、大人の事情もオブラートに包みながらではあるが話してくれる。
メンバーたちがお互いへのリスペクトを言葉で態度で空気で醸し出す。
ファンみんながそのバンドにいるメンバーやバンドそのものが好きだと言う人だらけでアンチがほぼいないetc…
 
KinKiで欲しかったものを与えてくれて、私に居場所を作ってくれたこのバンドに夢中になった。

ライブを見に全国を飛び回り、一生ものの仲間ができ、その反面、集客が一進一退で先行きが不安になったり、メンバーが病気になったり…
一緒に成長しているのを感じれる。

未練と言う言葉がしっくりくるような状態で約3年ダラダラとファンをしていたが彼らに夢中になればなるほどKinKiが遠くなっていった。
そして離れた。

それから約5年が経った。

2014年。
KinKiの冠番組である堂本兄弟が最終回を迎えると知る。
大人の事情や視聴率のことなどもネットで把握していたのでやはりか~と言うのが素直な感想だった。
最近見てはいなかったものの、前身であるLOVE×2あいしてるから見ていた思い出のある番組。
これは見ないと~と軽い気持ちでチャンネルを合わせた。
これが私の人生を大きく変えた。


久しぶりに見るKinKiの二人の姿が目に入った瞬間、ぶわーと色んな感情が沸き起こる。
懐かしい曲のオンパレードに歓喜する昔の自分と、二人の気持ちを察するに悔しい悲しいとか色んな感情だろうなと胸が痛む今の自分。
離れていた間にリリースされた曲を歌う二人に新鮮さとどこか懐かしい感じ。
そしてとにかく二人の歌が上手くなっていて単純に「なんじゃこりゃ!?すごい!」と驚く、整理出来ない程の色んな感情が湧いてきた。

そして最後の言葉と表情。
剛さんの「光一、ありがとう」に涙腺が崩壊していた。

あぁ。この数十年、二人で互いに持つつ持たれつ支え合いながら戦ってきたんだな。KinKi Kidsって唯一無二の存在だなと素直に思った。

番組が始まり終わる、30分満たない間に私はKinKiヲタに戻っていた。

それからの日々は動画サイトやGoogleさんのお世話になり、それはそれは転げ落ちると言う表現が一番しっくりくるようにKinKi沼に堕ちていった。
勿論、イヤなものも見た。だがそれすらも打ち砕くほどにKinKi Kidsは愛に溢れていた。

KinKiを知る前、夢中だった頃、離れていた頃、違和感を覚え始めた時期のもの、いろんな物を見た。

見てみるとあんなにも違和感を覚えていた時期のはずなのに涙しか出なかった。(バカボン剛さんは除く←)
この時の光一さんや剛さんの想いや葛藤、お互いへの優しさなど伝わるものがありすぎて。

そして気付いた。
自分自身が30近くなり、痛みや悲しみを経験したことでこんなにも人の痛みを素直に感じれるようになれたんだと。

アラサーBBAが泣きながら毎日動画を見、有り得ないほどの速度でKinKiに堕ちてゆく。
堕ちて 堕ちてく あなた(KinKi)のすべてに~♪をリアル体感しては寝不足と通信制限に震える日々。

そして追い討ちをかけるようにLコンDVD発売、Mアルバム発売、Mコン…と抜け出すことはできないよ!とばかりにKinKiの猛攻撃をくらい早いもので半年が過ぎた。


私は今日も元気にKinKi沼に肩まで浸かっている。


ちなみにやはり私は堂本光一堂本剛単体よりも揃ったKinKi Kidsが死ぬほど好きらしい。
ソロはまだ深く入り込めそうにない。


それから…。
KinKiにないものを与えてくれると言う理由が大きくとあるバンドにハマりはしたものの、今の私にはどちらも主食として必要だとハッキリ断言できるので私はこれからもKinKiとバンド、二足のわらじで生きていこうと思う。
どちらも好きでいるからこそ半歩下がって見れる。
決して愛が薄いとかではなく、私にはこのやり方が一番ベストな応援の仕方なんだと言える。

離れていた間を惜しいと思う気持ちがなくもないが、あのままファンを続けていた所で今のこの爽やかなまでの気持ちでいられなかっただろうし、どの道途中で離脱していたと思う。
そう思うと私にとってはこれがベストなタイミングだったんだな~と。

愛がすべてさ今こそ誓うよ(©ハウンドドック)ではないけれどあれほどカユイと思っていた愛と言う言葉をこんなにも抱き締めたいと思える今の自分。

本当にこのタイミングでKinKiに戻ってこれて良かった。
素直に心からそう思う。