アラサーヲタクの戯言

J事務所とびじゅある系が好きなアラサー女の思ったままを書くブログ

孤独に生きてきたジャニヲタが馴染むことをやめたら楽になった話

以前こんなものを書いた。

 
 
それから月日は経ち2016年も5月後半に差し掛かっている。
相変わらずKinKiが好きだ。
 
でも、なんだかTwitterにいるとモヤっとすることが増えた。
 
初めてKinKiを好きになった時と出戻った時。
大きく異なったのは孤独に生きていた頃と違い、TwitterなどSNSで簡単に情報が手に入り、KinKiを好きな知り合いが私のような人間でもできる所だった。
 
楽に情報も知り合いも手にいれられる。
なんて素敵な時代になったんだと感動した。
 
異常なくらい執着していた以前とは違い、関東のみの放送に唇を噛むこともなくなり雑誌やCDを欠かさず買わなきゃいけない義務感に囚われることもなくなっていたのですごく快適なヲタライフを送れていた。
 
Twitterにいると昔のエピを上げる人、ポエムっぽい人、動画を上げる人、絵をあげる人…沢山の色んな人がいてジャニヲタの分母の広さを改めて実感して凄い!楽しい!と思った。
 
だが段々と自分が疲れていることに気付いた。
 
友達が欲しい気持ちはあるが自ら声をかけたりタグをしてまで欲しいかと言えばそうでもない。広く浅くは嫌い。でも色んな人と知り合いの人たちは楽しそう。羨ましい。でもめんどくさい。そんな矛盾。
何よりも自分の中で相手が大事でも相手がそうとは限らないじゃないかと言う自己肯定の無さ故のネガティブ。   
 
それにTwitterの便利な機能により色んな人の考えや面白ブログを見れ自分の視野も広げてもらえて幸せだった反面、入れたくない情報、見たくないことを見ることも増えた。KinKiファン特有のソロ論争やアンチなど私は平和に生きたいだけだったのに必要のない世界まで見ることも増えた。
 
腐的なものを鍵なしで呟いたものやダメだと再三言われている雑誌の早売りが回ってきたりそれに対して抗議するTLが溢れたり…
 
録画に追われたり色んなことに執着して疲れなくてよくなったのに今度はTwitterに疲れるようになってしまった。
ヲタ活を一人でしていた時の方が純粋に好きだったなぁなんて思う日も増えた。
 
 
そんなアホみたいな思いを抱えたまま過ごしていたこの数ヵ月。
ならTwitter辞めればいいんじゃない?と思われると思う。でも情報源であり、ジャニヲタ人生において孤独に生きてきた私でも気にかけてくれるフォロワーさんが何人かはいるので辞めたくはなかった。
矛盾だらけだった。
 
 
そんな時、中学の友人と10数年ぶりに会うことになった。
特に同じグループにいた訳でもなく、特別仲が良かった訳でもないのだが、思い返せば週2回の塾の休憩時間は不思議と彼女と話していた笑顔の記憶ばかりだ。
彼女も剛さん寄りのKinKi好きでジャニーズがダサいと言われていた中学時代においてオープンに剛大好き~~♡と大声で言っているような本当にいるだけで元気をくれる子だった。
そんな友人との久々の再会。
彼女は全く変わっていなくてやっぱり元気をくれる子だった。
そんな盛り上がる最中での彼女の一言に私の時が止まった。
「私ね、中学の時いじめられててさ~~」
え?嘘でしょ?本当に知らなかった。
そう告げると
「うん、知ってる(笑)あーの周りって平和だったでしょ?この人はイケてるからとかイケてないからとか人によって接する態度をあーは変えないでしょ?だから私にとって癒やしだったの。塾の休憩の時私、あーの所によくいたでしょ?人によって態度を変えないあーに癒やされに行ってたんだよ。」
とそう言って笑った。
 
驚いた。
とにかく驚いた。
そして、胸が痛かった。
たしかに曲がったことが大嫌いな母親譲りの正義感が強めの性格なのは自分でも自覚していたが、そのせいで「みんなで無視しようよ」なんて幼稚なことをする人(だが残念ながらそういう子がリーダー格だったりする)がいたら真っ向からキレて対立していた。みんながなんとなくその子に従い上手くやっていく中で、自分を曲げずに馴染めない上手く立ち回れない孤独感と、でも苛めたりするのは嫌いな正義感の強い自分が嫌いで嫌いでたまらなかった。
 
彼女の言葉に「私は劣等感の塊だったし、人によって態度を変えないように見えたかもしれないけど、そんな自分が嫌いだったよ。癒やしだなんて言われる人間じゃないよ」とは返せなかった。
 
彼女にとっての私はそのイメージなんだろうけど、彼女の話を聞いていたら大人になってまで劣等感の塊でウダウダと悩んでいる今の私はなんて恥ずかしいんだろう…そう思った。
 
そして彼女は続けた。
「久しぶりに会っても変わらないね。私ね、あーとは会わなくても絶対繋がっていられる人だと思ってるんだよ。大好きなの。」
 
劣等感の塊だった頃の私を癒やしと言って知らぬ間に好いてくれている人がいた。
笑い話くらいのテンションで話していたので「なにそれ!(笑)勝手に好かれてる~~笑」なんて笑ったけど泣きそうだった。
 
なーんだ。馴染もうとか色んなことしなくていいじゃん。私は好きなようにやろう。
そう思ったらなんだか吹っ切れた。
見たくないもの知りたくないことは見ざる聞かざるの逃げの精神で生きていこうって。
 
 
そんなこんなでまずは相互している方やリアルでの知り合い以外のフォローを減らした。
それから色んな情報を入れることをやめようと申し訳ないがフォローしている方たちのRT機能を非表示にさせてもらった。
気になったものはその方のページに飛んで見るようにした。 
TLに表示されるものを好きな人の言葉だけにしてみた。 
 
それでも入ってくることもあるのでKinKiのことはガン見して、TLは薄目で見ること。
 
 
これがすこぶる快適である。
 
 
逃げなのだろうし、範囲を狭めることは自分の視野を狭くしてしまい考えが偏り良くないことだとは分かっているが私にはこれしか私自身が醜くならない方法が思い付かなかった。
苦手なものや嫌なことから自分を守るための防御だと思うことにした。
 
 
来るべきKinKi20周年ライフ(過度な期待は禁物←)を昔みたいな純粋な気持ちで快適に迎えるために。
 
孤独に生きてきたジャニヲタが馴染むことをやめたら楽になった。そんなお話。