アラサーヲタクの戯言

J事務所とびじゅある系が好きなアラサー女の思ったままを書くブログ

アンコールって何なんだ?

ネットで話題の西川貴教さんの発言について考えてみた。

西川さんはTwitterで「基本は本編で全て完結しており、チケット代はこの本編に対して頂戴しております。更に求められ、それに応える心と心の呼応がアンコールです。本当に求めて頂ければ、いくらでもお応えします。ですから『もっと』のアピールは、強く大きくお願い致します」「アンコールは演る側も義務ではありませんし、お客様も強制ではありません」と発言していた。

以前から西川さんはこういった趣旨のことを発言していた。
今回は特に大きく取り上げられていたため少し考えてみる。


まずはアンコールってなんぞや?と言う所から。

アンコール (仏:encore)
アンコールとは、コンサートやリサイタルにおいて追加演奏を要望するかけ声のことであり、またその再演奏や、時にはアンコールで演奏された曲目のことも指す。転じて、一度済ませたことを再び行うこと(例えば、「アンコール放映」といった使われ方)。


要望。
要ることを望む。
まさにそうだよな、、


ここからは私の個人的思いを。

私の一番好きなバンドは正直、ファンのマナーが悪い。
アンコを言わずに化粧直しをして携帯を弄り私語をする。ドリンクを買いにロビーに行きアンコールが始まるまでロビーでダラダラしてそろそろかな?って時に戻ってくる。
打ちながら笑えてくる。
だが実際そうなのだから仕方ない。

そんな私は以前ならこういう人達なんてライブに来なきゃ良いのに。大嫌いだと思っていた。
だって私はアンコールを言うことに必死だったから。
良い子発言とかではなく、他のバンドでアンコールをやらなかった事例を知っているし、そのバンドにも通っていてコールは基本15分以上がデフォルトであり、もっと見たい!やって欲しい!と伝えるためには必死になることが当たり前だったから。
なので、一番好きなバンドのライブでコールをしていると「こんなにコールが小さくてメンバーが出てこなかったらどうしよう」と不安な気持ちと「マナーの悪い人等と同じファンと言う括りにされてアンコールが見れなかったら最悪だ!」と思っていた。
と、同時に「痛い目遭わなきゃ分かんないんだからメンバーも一度くらいアンコールをやらないと言う選択をすれば良いのに」とも思っていた。

そんなある日、本命バンドのボーカルがTwitter「色んな考えのアーティストさんいると思うけど、僕は一人でも求めてくれるのならアンコールをやりたい。」とハッキリと言った。

正直、救われた。

それまでのアンコールはイラつきと不安ともっと見たい!この3つがない交ぜの気持ちでコールしていたから。
私たち、やって欲しい、もっと見たい気持ちの人間が少数でコールをする意味があるのかと揺らいでいたから。

でも「一人でも求めてくれるなら」この発言は私に大きな意味を持たせてくれた。
100%の気持ちでアンコールを私一人でも言えばアンコールは行われるんだと思うと自分一人の力でもどうにかなることの嬉しさを知ったから。

この言葉を見てから周りの人間のことはどうでも良くなった。
隣が喋ってようが化粧直しをしていようがどうでも良い。
私は見たいから。
だからコールする。それだけで意味がある。

それからはコールすることが本当に楽しくなった。
一緒にライブを見る友人たちも同じ気持ちでいてくれている。それだけで意味があり、楽しい。そう思える自分がいる。


でも、たまに本当にファン全員が同じ気持ちでアンコールを求める時がある。
その時の出てくるメンバーの笑顔はやっぱり格別なものがある。

その笑顔と空気の素晴らしさも知っているから、毎回のライブがそんなライブならみんながハッピーなのに。
そう思う自分もいる。

義務でもないし強要でもない。けれど、コールをすることは自分のハッピーを伝えるための手段。ハッピーを伝えることで好きな人がハッピーな顔してもっとハッピーな時間をくれるんならやるべきじゃない?得するのは自分だよ?
そんな風に思う。

そんなババアの戯言。

ばんぎゃるな私がKinKi沼に再び浸かったきっかけ

どうしても簡潔にまとめることが苦手で書きたい欲が沸いてきたので書いてみた。
バンギャでありKinKiファンに昨年出戻りした私の話。


バンギャル
簡単に言えばヴィジュアル系バンドを追いかけるファンの総称。
バンドギャル。略してバンギャルバンギャ、ギャ、男ならギャ男(ぎゃお)と呼ばれる。
お化粧をした綺麗な方たちを追いかけ、重低音の効いた音に合わせて頭を振る。
詳しく知りたい方は蟹めんま先生の“バンギャルちゃんの日常”と言う漫画もしくは、ユー〇ューブかニコ〇コ動画で“淳子@れいたの嫁”を見て頂くと大体生態が分かる…笑


話を戻す。
私は元々小学生の頃から2コ上の姉の影響で剛さん寄りのKinKiを主とするジャニヲタだった。
姉は98年頃にはジャニヲタをやめ、GLAYやhideを追っていたこともありお化粧している方々に偏見を持つことはなかったが自分には関係ないとキラキラ輝くアイドルなKinKiに夢中だった。
CDショップまで片道車で30分、レンタルショップなどないドの付く田舎に住んでいたこともありコンサートに行くことは夢のまた夢だったがそのいつかを夢見つつ、お小遣いはすべて雑誌とCDに注ぎ込み、TV欄と格闘しながら録画する。
そんな熱心なお茶の間ファンだった。
 
中学の頃、キラキラしたアイドルだと思っていた憧れの人が苦悩している姿を見せるようになる。
やがて病気だと公表され、大好きな人が苦しんでいたのかとショックだったと同時にテンションの上がらない姿を隠さない剛さんを笑顔でフォローしている光一さんの姿に、計り知れない二人の支え合う精神をすごいなと思っていた。

だが段々とソロが増え、元々凡人でありアイドル堂本剛に惹かれていた私は奇抜さを通り越しエキセントリックになっていく剛さんに彼の“自分に素直に”やっていることの良さの何がKinKiに良い影響を与えるのか、光一さんがSHOCKをやることでKinKiにどう生かされるのか分らなくなり違和感を募らせていた。(今ならその考えに往復ビンタをしたい)
剛さんのよく言っている“愛”と言う言葉も当時はよく分からずカユくて馴染めなかった。

光一さんの隣にいない剛さん、剛さんの隣にいない光一さんに惹かれない自分がいた。
堂本光一堂本剛二人が並んでいるKinKi Kidsが好きなんだなと痛感した。

そんな頃にふと見たTVに出ていたJanne Da Arcに射たれた。
頭を振って音にノる。新世界を見せてくれるキラキラした人たちに出会った!と言う衝撃と歓喜
メンバー5人の曲を弾いている時の凛々しさと、それ以外の時の下らない冗談を言い合う仲良し空間のギャップにズブズブと沼にハマっていった。
だが見せる笑顔とは裏腹に大人の事情に翻弄された5人の中で歪みが出ていたようでこの数年後に無期限での活動休止。
この時、私はハタチ前後だったと思う。
私自身も社会人になり、精神的に参ることの連続に、彼らの苦悩と生身の人間を応援していくことの大変さ、大人の事情とやらを真剣に考えるようになる。(かなり遅いとは思うが)

違和感を感じながらも追いかけていたKinKiのことも少し理解できるようになっていた。でもやはり活動に不満があった。KinKiがどこに向かうのか、向かいたいのか、深く、ずっと追っていたいという気持ちが薄れてきていた。

そしてこの頃、とあるバンドにどハマりした。

リリースもコンスタントで、全国ツアーも年に何度かしてくれる。
ソロ活動はバンド活動に支障のないようにアルバム制作中などの地下活動中のみ。
TwitterやFCブログで個々の想いを話してくれたり、大人の事情もオブラートに包みながらではあるが話してくれる。
メンバーたちがお互いへのリスペクトを言葉で態度で空気で醸し出す。
ファンみんながそのバンドにいるメンバーやバンドそのものが好きだと言う人だらけでアンチがほぼいないetc…
 
KinKiで欲しかったものを与えてくれて、私に居場所を作ってくれたこのバンドに夢中になった。

ライブを見に全国を飛び回り、一生ものの仲間ができ、その反面、集客が一進一退で先行きが不安になったり、メンバーが病気になったり…
一緒に成長しているのを感じれる。

未練と言う言葉がしっくりくるような状態で約3年ダラダラとファンをしていたが彼らに夢中になればなるほどKinKiが遠くなっていった。
そして離れた。

それから約5年が経った。

2014年。
KinKiの冠番組である堂本兄弟が最終回を迎えると知る。
大人の事情や視聴率のことなどもネットで把握していたのでやはりか~と言うのが素直な感想だった。
最近見てはいなかったものの、前身であるLOVE×2あいしてるから見ていた思い出のある番組。
これは見ないと~と軽い気持ちでチャンネルを合わせた。
これが私の人生を大きく変えた。


久しぶりに見るKinKiの二人の姿が目に入った瞬間、ぶわーと色んな感情が沸き起こる。
懐かしい曲のオンパレードに歓喜する昔の自分と、二人の気持ちを察するに悔しい悲しいとか色んな感情だろうなと胸が痛む今の自分。
離れていた間にリリースされた曲を歌う二人に新鮮さとどこか懐かしい感じ。
そしてとにかく二人の歌が上手くなっていて単純に「なんじゃこりゃ!?すごい!」と驚く、整理出来ない程の色んな感情が湧いてきた。

そして最後の言葉と表情。
剛さんの「光一、ありがとう」に涙腺が崩壊していた。

あぁ。この数十年、二人で互いに持つつ持たれつ支え合いながら戦ってきたんだな。KinKi Kidsって唯一無二の存在だなと素直に思った。

番組が始まり終わる、30分満たない間に私はKinKiヲタに戻っていた。

それからの日々は動画サイトやGoogleさんのお世話になり、それはそれは転げ落ちると言う表現が一番しっくりくるようにKinKi沼に堕ちていった。
勿論、イヤなものも見た。だがそれすらも打ち砕くほどにKinKi Kidsは愛に溢れていた。

KinKiを知る前、夢中だった頃、離れていた頃、違和感を覚え始めた時期のもの、いろんな物を見た。

見てみるとあんなにも違和感を覚えていた時期のはずなのに涙しか出なかった。(バカボン剛さんは除く←)
この時の光一さんや剛さんの想いや葛藤、お互いへの優しさなど伝わるものがありすぎて。

そして気付いた。
自分自身が30近くなり、痛みや悲しみを経験したことでこんなにも人の痛みを素直に感じれるようになれたんだと。

アラサーBBAが泣きながら毎日動画を見、有り得ないほどの速度でKinKiに堕ちてゆく。
堕ちて 堕ちてく あなた(KinKi)のすべてに~♪をリアル体感しては寝不足と通信制限に震える日々。

そして追い討ちをかけるようにLコンDVD発売、Mアルバム発売、Mコン…と抜け出すことはできないよ!とばかりにKinKiの猛攻撃をくらい早いもので半年が過ぎた。


私は今日も元気にKinKi沼に肩まで浸かっている。


ちなみにやはり私は堂本光一堂本剛単体よりも揃ったKinKi Kidsが死ぬほど好きらしい。
ソロはまだ深く入り込めそうにない。


それから…。
KinKiにないものを与えてくれると言う理由が大きくとあるバンドにハマりはしたものの、今の私にはどちらも主食として必要だとハッキリ断言できるので私はこれからもKinKiとバンド、二足のわらじで生きていこうと思う。
どちらも好きでいるからこそ半歩下がって見れる。
決して愛が薄いとかではなく、私にはこのやり方が一番ベストな応援の仕方なんだと言える。

離れていた間を惜しいと思う気持ちがなくもないが、あのままファンを続けていた所で今のこの爽やかなまでの気持ちでいられなかっただろうし、どの道途中で離脱していたと思う。
そう思うと私にとってはこれがベストなタイミングだったんだな~と。

愛がすべてさ今こそ誓うよ(©ハウンドドック)ではないけれどあれほどカユイと思っていた愛と言う言葉をこんなにも抱き締めたいと思える今の自分。

本当にこのタイミングでKinKiに戻ってこれて良かった。
素直に心からそう思う。