アラサーヲタクの戯言

J事務所とびじゅある系が好きなアラサー女の思ったままを書くブログ

KinKiファンを卒業するまでの時系列

このブログを始めた最初にKinKi沼に戻ってきたきっかけを書きました。
 
引用の仕方が分からずよく見たら引用できてなかったので諦め(笑)
今回は戻ってきた話ではなくいつ離れたのかを自分でも冷静に知りたくて書いてみました。
 
 
 

永遠に、心のどこかにはずっといる初恋の人のようなものなんだろう。

けれどもうファンに戻ることはないんだろうな。
そう熱しやすく冷めにくい私が心の底から思って離れたKinKiに堂本兄弟最終回で出戻って早10ヶ月。
出戻ってすぐに神番組ブンブブーンが始まり、Lコン円盤、Mアル、Mコン、SHOCKに小喜利にFUNKにSpiralにKinKiとしての夏の音楽番組…と色んなことがめまぐるしくあり楽しく過ごさせてもらっています。(ソロに関しては揃ったftr好き故にあまり熱がなく未経験…と打っていましたがこの文章を書くのに1ヶ月以上かかってしまったためその間にSpiralを経験してきましたw)
長年ファンをされているKinKiファンの方々の呟きを拝見すると、毎年夏は瀕死モードだったようで、いかに私は恵まれた年に出戻ったのかとひしひしと感じる今日この頃です。
 
この10ヶ月で離れていた間のCDやDVDを揃え(まだすべてではないが)、動画を見、KinKiファンならここは聖地!なんて所や知ってて常識!なんてことをやっとこさ少し理解できるまでになってきた所で、なんとなく私自身が以前はいつまでKinKiを追いかけていたのだろう?と疑問が浮かびました。
 
頭の中で辿って行くとあの伝説のMステ3回打ちひしがれ事件後からの記憶が薄い…
 
 
KinKiを知り、好きになったのが96〜7年頃。
この頃は猫も杓子もキンキキンキキンキキンキと言う時代でした。クラスの女子は全員が光一派剛派に分かれている時代で金田一と銀狼など土9を見るのが常識だった頃。ちなみに私は断然剛さん派でした。大きな瞳となんでも器用にこなす彼に惹かれました。
本格的に好きだ!と自覚し、TVなどを録画し始めたのが99年の頭。
一旦離れて再び戻ってきたのが昨年の堂本兄弟最終回。
 
2010年4月に今も通っている本命バンドにドハマりし、そこからKinKiにも再びハマる堂本兄弟最終回の2014.9.28まではKinKiから離れていたことは自分でも分かります。
ですが3回打ちひしがれ事件という後世に残していきたい素晴らしい事件が生まれたシングル、ビロードの闇発売~2010の4月までの私はKinKiヲタとして何をしてたんだろう?
気になったので押し入れのCDやDVDたちとともに調べてみました。
 
 
そもそも私の中の“ファン”の定義としては
・CDは全形態買いし、フラゲ
・VHSもDVDも必ず買い、死ぬほど見る
・TV録画はかかさない
・アイドル雑誌は毎月かかさず
・TVジョンなどの物凄く小さい記事もスクラップ
 
と言うのが当たり前であり最低限じゃないか?と思っていました。
あとはコンサートに行くことや番協と言う項目があると思うけれど、私自身に関しては九州の電車も通っていないような地方住みで小中学生ゆえコンサート参加は難しかったのでそこは除外願いたい…。
ちなみに出戻った今は好きならファン。それで良いじゃん。としか思っていません。
年月とは人をこうも変えてくれるものなのか…!
 
話が逸れてしまったが本題に戻ります。
 
まずは2005年。
ビロードの闇の発売が2005.6.15→全形態を買っている。封も開いている。曲もすべて分かる。が、カラオケで歌詞なしで歌えるかと言われると不可能だ。以前なら当たり前だった。おっと。すでに雲行きが怪しい。
ならば少し戻ってみよう。
2004.12.22発売のAnniversaryとKinKi selection2→限定セットを買って腐るほど聴いている。PVも大好きでもうたまらんほど色んなことが甦る。うん。必死なファンだった模様。
 
となるとビロ闇の頃には少し気持ちが下がりつつあったようです。
 
2005.8.3にアニバコンDVD発売→初日の福岡に入ってました。
初回を買ったがFコンを軽く300回以上見ていることに比べれば二人がどこでどういう動きをしていたのか全く言えないレベルの視聴回数。
 
2005.11.16にHアルバム発売→封は開いている。だがタイトルを聞かれても歌えない…
 
2005.12.21シングルSNOW!SNOW! SNOW!→CDの封は開いている。Mステなどの映像もキチンとDVDにまとめられている。でもやはりCWやBTは歌えない…。
 
2005.12.24~Hコンスタート。大阪東京のみ→思い出した…!
 
そうそう。先程コンサートに関しては除外願いたい…と書いたが、高校生になって親に死ぬほど頭を下げ、なんとか許して行かせてもらえていた。ちなみにFコン追加の福岡は申し込み時に高校生に成り立てで行かせてもらえなかったため未だに親を恨んでいますw
 
話を戻します。
Hコンで思い出しました…!
この頃にはV系を好きになっていてチケ代も比較的安かったため、親にバレずにお小遣いを貯めて福岡ならなんとか行き、行く度にズブズブとハマりまくっていました。
それによりKinKi熱が少しずつ落ちてきていました。
そんな思いの中、“コンサートに行けばきっとKinKi熱が再燃するはず…!!!!”と心のどこかで思っていたところに届いた幸せの青い封筒。それを開けた時の大阪東京のみの知らせに物凄く打ちひしがれました。
 
さらに隣のクラスの少し話す程度の友人が行けないと打ちひしがれてる私に「KinKi好きだよね?今度の大阪のコンサート姉が好きだから私も行くことにしたんだ~!私はそんなに興味ないけど~!」と言ってきた時にはぶっ飛ばそうかと思ったし(←)、多分その時に各々のソロであるSHOCKや堂本剛名義でも地方に来てくれないことに対するフラストレーションがかなり溜まっていたし、彼女のこの一言で好きなのに行けない自分が惨めになりかなり熱が冷めたと思います。
だからHアルバムもあまり聴く気になれなかったんだった…。
 
…読み返して見ると我ながら身勝手だなぁ(笑)
だがこの時はそうでした。
これは田舎である私の地域特有なので他県の方にはご理解いただけないかもしれませんが、高校生のバイトは県そのもので全面的に禁止であり見つかると停学になり内申書に響きます。しかも狭い田舎ゆえ、バイトしようものなら即、お客さんから学校に電話がかかるなんてこともあるような所。よって平凡に学生生活を送るとバイトはできません。
さらに我が家は親が厳しく、福岡のコンサートに行かせてもらうためにだけでも相当頭を下げたので遠征費など出してもらえる訳もなく、かと言って福岡より先に遠征することは自力ではとてもじゃないができませんでした。
 
小学生から何年も想い続け、Fコンに行けなかった悔しさを抱えたままやっとGコンに参加できた時の感動は今でも忘れないし、この喜びが毎年続くのだと勝手に勘違いしていた自分が悪いのだがそれを糧に生きていた自分にとっては唯一行ける福岡に来ないというのはあまりに辛かった…。
それに親友であり山P担当のYの就職も遠方に決まっていたので二人で参加できる最後になるかもしれないから思い出に!と期待していたのも大きかった… 。
 
そんなこんなでたしかHコンについては人様のレポを読んでは悔し泣きしていたような気がします。
それが嫌になりHコン東京レポは見ませんでした。
 
Y以外にキンキ友達もいなかったので情報を集めることは自力でしたし、KinKi話題を共有するのもYだけだった私にHコンで勝手に味わった挫折と敗北感は大きすぎました。
この時にはSNSが発達していたので使えば良かったのにと…今なら思いますが私はとにかくその手のことに疎かったし、何より自分と言う存在に自分が疑問を抱いているレベルの根暗人間だったので人様と交流できるようなスキルもありませんでした(笑)
ファンとして勝手にKinKiに捨てられたんだと感じたんです。
 
 
この頃から段々と情報を集めることもしなくなっていきました。
元々ソロ<KinKiの考えだったのにソロのあまりの活発化と、剛さんの己の心に素直にやっていることが受け止められなくなり心が離れ始め。
 
2006年。
2006.7.26発売の夏模様
2006.11.29発売のハモデ
2006.12.13発売のIアルバム
この頃には好きな気持ちより何よりも、今更ファンをやめたくないと言う意地が大半を占める中でファン(すでにこの時点でファンとは呼べないと思いますがw)を続けていたように思います。
DVDに音楽番組は収めているものの、CDシングルは全形態の封が開いておらず。アルバムは封は開いているものの出戻りして聴いた所、IDしか分かりませんでした。特典DVDも出戻ってから初めて見ました…。
 
2007.4.25発売のシングルBRAND NEW SONG
2007.7.18発売のアルバム39
2007.7.22開催の39イベント
2007.9.12発売のシングル永遠に
2007.11.14発売のアルバムΦ
 
BNSを最後にシングルを買わなくなったようです。
39アルバムも数回聴いたのみ。
せっかく就職して自由になったのに39イベントも仕事で行けませんでした。
ちょうどこの頃2004年から録りためていたHDDデータが吹っ飛び、KinKi熱が下がってからも見ていたお気に入りの映像は常に見たいし、手を付けたくないからとダビングしていなかったのですべてを失いました。(3回打ちひしがれ事件や僕らの音楽など)
大事なイベントも行けず、大好きだった頃の映像も全て失われたことがヲタクを辞めろと暗示されているのだろうか…と勝手な解釈をして自分の中でまた何かが崩れました。 
 
そしてこの年、好きなV系バンドがライブで私の住む県に来てくれました。
9月には今通っている本命バンドが初めて日本武道館をやったことも物凄く大きくて。
初めて遠征して感動して号泣しました。
初めて、記念!と言う大きなライブに行け、アーティストの後世に残る思い出の1ページに参加できた嬉しさは私にとってとてつもなく大きかったです。
V系は雑誌さえ追えばTVにはほとんど出ないので地方民ゆえに「関東限定なの!?映らないぃぃぃ!ギリッ」なんて悔しい思いをすることもないのも楽でした。
コンサートもツアーそのものが小さい会場で細かく回るので休みが少ない私でもどうにかなったのも益々ハマる大きな要因に。
 
この頃にはKinKi事はほとんど追わなくなっていました。
Φアルも買ったものの聴いていないし、あの伝説のΦコンに関してはWSで知りました。何度もキスを重ね~の二人を見て「うわぁ…これはちょっと…一般の人引くやろ…」と思ったほど冷静にKinKiを見ていました。仕事の休みがほとんどない状態だったのでコン参加も難しく、いまだ心の奥底でHコンでの苦い思い出を引きずっていた私は幸せの青い封筒を見ることすら苦痛になっていて、来ても封を開けることすらしていませんでした。だから緊急コンの開催も福岡に来る2日前に知りました。あの日、無理をしてでも緊急コンのチケットを探して福岡に行っていたら私のその後のヲタ人生はまた違ったのかもしれません。
でも結果としては行きませんでした。
ですが、Mステだけは録り続けていました。KinKiが出たら見て残しておく。まだほんの少しの未練があったから…。
2009.10.28発売のスワンソングまでは録ってました。2010の頭にHDDが壊れたのでそのまま録らなくなりました。
そして2010年の11月。10数年入っていたFCを辞めました。このときが私の中でKinKi=過去に完全に変わった瞬間でした。
 
ソロ事も調べてみましたがエンドリケリーがタンクをし始めた頃には情報についていけなくなっていたように思います。
空が泣くからのCDはあるもの未開封。White DragonのDVDも買ったものの未開封。
光一さんに関しても初ソロコンDVDの頃は腐るほど見ていたがその後出された+million~のCDは未開封。
 
KinKiと言うグループが好きでソロ事はKinKiを成長させるための個々のスキルアップの場所という認識だったのでソロ事がメインになればなるほどさらにKinKi離れを起こしていたように思います。
 
 
こうしてCDタイトルと出した時期を書き出しながら振り返ってみましたが書いていると好きな気持ちと好きでいたい気持ち、ファンをやめるのは惜しいと意地になっている気持ちなど様々な楽しい思い出や苦い思い出が走馬灯のように蘇ってきました。
 
今思い返せばその時に打ちひしがれたことなんて、たやすいことで、自助努力でどうにかなっただろ。と思いしますが後の祭りで、過去は変えられません。
KinKiが大変な時期に離脱し、楽しい時期に戻ってきた自分に引け目がない訳ではないですがこればかりは離れてまた好きになってしまったのだし仕方がありません。
 
離れていた間のことは仕方ないと諦めています。
 
でももし…、もしなんて言葉を使った所でどうしようもないのですが、もし願いが叶うとするならば初めて行ったGコン、行けなかったHとIコンの映像が欲しいです。
あの空間で何が行われていたのか未だに解決できない心のモヤを解決したいんです。
そして、これは個人的なお願いとして、KinKiの主な事件とKinKiに関して覚えるべき場所や出来事、人などのまとめが欲しいです(笑)
20年以上の年月を積み重ねたftrだからこそ尊いのですが、そんなftrを追いかけ始めた新規ファンにはその年月でのKinKiの常識が分からないです。私自身分かる範囲は調べたがなかなかに根気がいるし、調べても分からないものもあり勝手に寂しくなったりします(笑)
 
空白の期間の整理ができたことは本当に良かったですが私はHコンの挫折と敗北感を胸に抱いたままなのは変わりません。
その挫折と敗北感を拭う日を求めつつ、KinKiヲタライフを最大限楽しんでいくんだと思います。

アンコールって何なんだ?

ネットで話題の西川貴教さんの発言について考えてみた。

西川さんはTwitterで「基本は本編で全て完結しており、チケット代はこの本編に対して頂戴しております。更に求められ、それに応える心と心の呼応がアンコールです。本当に求めて頂ければ、いくらでもお応えします。ですから『もっと』のアピールは、強く大きくお願い致します」「アンコールは演る側も義務ではありませんし、お客様も強制ではありません」と発言していた。

以前から西川さんはこういった趣旨のことを発言していた。
今回は特に大きく取り上げられていたため少し考えてみる。


まずはアンコールってなんぞや?と言う所から。

アンコール (仏:encore)
アンコールとは、コンサートやリサイタルにおいて追加演奏を要望するかけ声のことであり、またその再演奏や、時にはアンコールで演奏された曲目のことも指す。転じて、一度済ませたことを再び行うこと(例えば、「アンコール放映」といった使われ方)。


要望。
要ることを望む。
まさにそうだよな、、


ここからは私の個人的思いを。

私の一番好きなバンドは正直、ファンのマナーが悪い。
アンコを言わずに化粧直しをして携帯を弄り私語をする。ドリンクを買いにロビーに行きアンコールが始まるまでロビーでダラダラしてそろそろかな?って時に戻ってくる。
打ちながら笑えてくる。
だが実際そうなのだから仕方ない。

そんな私は以前ならこういう人達なんてライブに来なきゃ良いのに。大嫌いだと思っていた。
だって私はアンコールを言うことに必死だったから。
良い子発言とかではなく、他のバンドでアンコールをやらなかった事例を知っているし、そのバンドにも通っていてコールは基本15分以上がデフォルトであり、もっと見たい!やって欲しい!と伝えるためには必死になることが当たり前だったから。
なので、一番好きなバンドのライブでコールをしていると「こんなにコールが小さくてメンバーが出てこなかったらどうしよう」と不安な気持ちと「マナーの悪い人等と同じファンと言う括りにされてアンコールが見れなかったら最悪だ!」と思っていた。
と、同時に「痛い目遭わなきゃ分かんないんだからメンバーも一度くらいアンコールをやらないと言う選択をすれば良いのに」とも思っていた。

そんなある日、本命バンドのボーカルがTwitter「色んな考えのアーティストさんいると思うけど、僕は一人でも求めてくれるのならアンコールをやりたい。」とハッキリと言った。

正直、救われた。

それまでのアンコールはイラつきと不安ともっと見たい!この3つがない交ぜの気持ちでコールしていたから。
私たち、やって欲しい、もっと見たい気持ちの人間が少数でコールをする意味があるのかと揺らいでいたから。

でも「一人でも求めてくれるなら」この発言は私に大きな意味を持たせてくれた。
100%の気持ちでアンコールを私一人でも言えばアンコールは行われるんだと思うと自分一人の力でもどうにかなることの嬉しさを知ったから。

この言葉を見てから周りの人間のことはどうでも良くなった。
隣が喋ってようが化粧直しをしていようがどうでも良い。
私は見たいから。
だからコールする。それだけで意味がある。

それからはコールすることが本当に楽しくなった。
一緒にライブを見る友人たちも同じ気持ちでいてくれている。それだけで意味があり、楽しい。そう思える自分がいる。


でも、たまに本当にファン全員が同じ気持ちでアンコールを求める時がある。
その時の出てくるメンバーの笑顔はやっぱり格別なものがある。

その笑顔と空気の素晴らしさも知っているから、毎回のライブがそんなライブならみんながハッピーなのに。
そう思う自分もいる。

義務でもないし強要でもない。けれど、コールをすることは自分のハッピーを伝えるための手段。ハッピーを伝えることで好きな人がハッピーな顔してもっとハッピーな時間をくれるんならやるべきじゃない?得するのは自分だよ?
そんな風に思う。

そんなババアの戯言。

ばんぎゃるな私がKinKi沼に再び浸かったきっかけ

どうしても簡潔にまとめることが苦手で書きたい欲が沸いてきたので書いてみた。
バンギャでありKinKiファンに昨年出戻りした私の話。


バンギャル
簡単に言えばヴィジュアル系バンドを追いかけるファンの総称。
バンドギャル。略してバンギャルバンギャ、ギャ、男ならギャ男(ぎゃお)と呼ばれる。
お化粧をした綺麗な方たちを追いかけ、重低音の効いた音に合わせて頭を振る。
詳しく知りたい方は蟹めんま先生の“バンギャルちゃんの日常”と言う漫画もしくは、ユー〇ューブかニコ〇コ動画で“淳子@れいたの嫁”を見て頂くと大体生態が分かる…笑


話を戻す。
私は元々小学生の頃から2コ上の姉の影響で剛さん寄りのKinKiを主とするジャニヲタだった。
姉は98年頃にはジャニヲタをやめ、GLAYやhideを追っていたこともありお化粧している方々に偏見を持つことはなかったが自分には関係ないとキラキラ輝くアイドルなKinKiに夢中だった。
CDショップまで片道車で30分、レンタルショップなどないドの付く田舎に住んでいたこともありコンサートに行くことは夢のまた夢だったがそのいつかを夢見つつ、お小遣いはすべて雑誌とCDに注ぎ込み、TV欄と格闘しながら録画する。
そんな熱心なお茶の間ファンだった。
 
中学の頃、キラキラしたアイドルだと思っていた憧れの人が苦悩している姿を見せるようになる。
やがて病気だと公表され、大好きな人が苦しんでいたのかとショックだったと同時にテンションの上がらない姿を隠さない剛さんを笑顔でフォローしている光一さんの姿に、計り知れない二人の支え合う精神をすごいなと思っていた。

だが段々とソロが増え、元々凡人でありアイドル堂本剛に惹かれていた私は奇抜さを通り越しエキセントリックになっていく剛さんに彼の“自分に素直に”やっていることの良さの何がKinKiに良い影響を与えるのか、光一さんがSHOCKをやることでKinKiにどう生かされるのか分らなくなり違和感を募らせていた。(今ならその考えに往復ビンタをしたい)
剛さんのよく言っている“愛”と言う言葉も当時はよく分からずカユくて馴染めなかった。

光一さんの隣にいない剛さん、剛さんの隣にいない光一さんに惹かれない自分がいた。
堂本光一堂本剛二人が並んでいるKinKi Kidsが好きなんだなと痛感した。

そんな頃にふと見たTVに出ていたJanne Da Arcに射たれた。
頭を振って音にノる。新世界を見せてくれるキラキラした人たちに出会った!と言う衝撃と歓喜
メンバー5人の曲を弾いている時の凛々しさと、それ以外の時の下らない冗談を言い合う仲良し空間のギャップにズブズブと沼にハマっていった。
だが見せる笑顔とは裏腹に大人の事情に翻弄された5人の中で歪みが出ていたようでこの数年後に無期限での活動休止。
この時、私はハタチ前後だったと思う。
私自身も社会人になり、精神的に参ることの連続に、彼らの苦悩と生身の人間を応援していくことの大変さ、大人の事情とやらを真剣に考えるようになる。(かなり遅いとは思うが)

違和感を感じながらも追いかけていたKinKiのことも少し理解できるようになっていた。でもやはり活動に不満があった。KinKiがどこに向かうのか、向かいたいのか、深く、ずっと追っていたいという気持ちが薄れてきていた。

そしてこの頃、とあるバンドにどハマりした。

リリースもコンスタントで、全国ツアーも年に何度かしてくれる。
ソロ活動はバンド活動に支障のないようにアルバム制作中などの地下活動中のみ。
TwitterやFCブログで個々の想いを話してくれたり、大人の事情もオブラートに包みながらではあるが話してくれる。
メンバーたちがお互いへのリスペクトを言葉で態度で空気で醸し出す。
ファンみんながそのバンドにいるメンバーやバンドそのものが好きだと言う人だらけでアンチがほぼいないetc…
 
KinKiで欲しかったものを与えてくれて、私に居場所を作ってくれたこのバンドに夢中になった。

ライブを見に全国を飛び回り、一生ものの仲間ができ、その反面、集客が一進一退で先行きが不安になったり、メンバーが病気になったり…
一緒に成長しているのを感じれる。

未練と言う言葉がしっくりくるような状態で約3年ダラダラとファンをしていたが彼らに夢中になればなるほどKinKiが遠くなっていった。
そして離れた。

それから約5年が経った。

2014年。
KinKiの冠番組である堂本兄弟が最終回を迎えると知る。
大人の事情や視聴率のことなどもネットで把握していたのでやはりか~と言うのが素直な感想だった。
最近見てはいなかったものの、前身であるLOVE×2あいしてるから見ていた思い出のある番組。
これは見ないと~と軽い気持ちでチャンネルを合わせた。
これが私の人生を大きく変えた。


久しぶりに見るKinKiの二人の姿が目に入った瞬間、ぶわーと色んな感情が沸き起こる。
懐かしい曲のオンパレードに歓喜する昔の自分と、二人の気持ちを察するに悔しい悲しいとか色んな感情だろうなと胸が痛む今の自分。
離れていた間にリリースされた曲を歌う二人に新鮮さとどこか懐かしい感じ。
そしてとにかく二人の歌が上手くなっていて単純に「なんじゃこりゃ!?すごい!」と驚く、整理出来ない程の色んな感情が湧いてきた。

そして最後の言葉と表情。
剛さんの「光一、ありがとう」に涙腺が崩壊していた。

あぁ。この数十年、二人で互いに持つつ持たれつ支え合いながら戦ってきたんだな。KinKi Kidsって唯一無二の存在だなと素直に思った。

番組が始まり終わる、30分満たない間に私はKinKiヲタに戻っていた。

それからの日々は動画サイトやGoogleさんのお世話になり、それはそれは転げ落ちると言う表現が一番しっくりくるようにKinKi沼に堕ちていった。
勿論、イヤなものも見た。だがそれすらも打ち砕くほどにKinKi Kidsは愛に溢れていた。

KinKiを知る前、夢中だった頃、離れていた頃、違和感を覚え始めた時期のもの、いろんな物を見た。

見てみるとあんなにも違和感を覚えていた時期のはずなのに涙しか出なかった。(バカボン剛さんは除く←)
この時の光一さんや剛さんの想いや葛藤、お互いへの優しさなど伝わるものがありすぎて。

そして気付いた。
自分自身が30近くなり、痛みや悲しみを経験したことでこんなにも人の痛みを素直に感じれるようになれたんだと。

アラサーBBAが泣きながら毎日動画を見、有り得ないほどの速度でKinKiに堕ちてゆく。
堕ちて 堕ちてく あなた(KinKi)のすべてに~♪をリアル体感しては寝不足と通信制限に震える日々。

そして追い討ちをかけるようにLコンDVD発売、Mアルバム発売、Mコン…と抜け出すことはできないよ!とばかりにKinKiの猛攻撃をくらい早いもので半年が過ぎた。


私は今日も元気にKinKi沼に肩まで浸かっている。


ちなみにやはり私は堂本光一堂本剛単体よりも揃ったKinKi Kidsが死ぬほど好きらしい。
ソロはまだ深く入り込めそうにない。


それから…。
KinKiにないものを与えてくれると言う理由が大きくとあるバンドにハマりはしたものの、今の私にはどちらも主食として必要だとハッキリ断言できるので私はこれからもKinKiとバンド、二足のわらじで生きていこうと思う。
どちらも好きでいるからこそ半歩下がって見れる。
決して愛が薄いとかではなく、私にはこのやり方が一番ベストな応援の仕方なんだと言える。

離れていた間を惜しいと思う気持ちがなくもないが、あのままファンを続けていた所で今のこの爽やかなまでの気持ちでいられなかっただろうし、どの道途中で離脱していたと思う。
そう思うと私にとってはこれがベストなタイミングだったんだな~と。

愛がすべてさ今こそ誓うよ(©ハウンドドック)ではないけれどあれほどカユイと思っていた愛と言う言葉をこんなにも抱き締めたいと思える今の自分。

本当にこのタイミングでKinKiに戻ってこれて良かった。
素直に心からそう思う。