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戯れ言

お化粧バンドとKinKiを追っかけているBBAの戯言 twitter→@rururu_kakaka69

KinKiファンを卒業するまでの時系列

このブログを始めた最初にKinKi沼に戻ってきたきっかけを書いた。

引用の仕方が分からずよく見たら引用できてなかったので諦めた(笑)
今回は戻ってきた話ではなくいつ離れたのかを書いてみた。



永遠に心のどこかにはずっといる初恋の人のようなものなんだろう。
けれどもうファンに戻ることはない。
そう思って離れたKinKiに堂本兄弟最終回で出戻って早10ヶ月。
出戻ってすぐに神番組ブンブブーンが始まり、Lコン円盤、Mアル、Mコン、SHOCKに小喜利にFUNKにSpiralにKinKiとしての夏の音楽番組…と色んなことがめまぐるしくあり楽しく過ごさせてもらっている。(ソロに関しては揃ったftr好き故にあまり熱がなく行っていない…と打っていたがこの文章を書くのに1ヶ月以上かかっているためその間にSpiralしてきてしまったw)
長年ファンをされている図書委員さんたちの呟きを拝見すると毎年夏は瀕死モードだったらしく、いかに私は恵まれた年に出戻ったのかとひしひしと感じる今日この頃である。

この10ヶ月で離れていた間のCDやDVDを揃えたり(まだすべてではないが)、動画を見たり、KinKiファンならここは聖地!なんて所や知ってて常識!なんてことをやっとこさ少し理解できるまでになってきた所で、なんとなく私自身が以前はいつまでKinKiを追いかけていたのか疑問に思った。

頭の中で辿って行くとあの伝説のMステ3回打ちひしがれ事件後からの記憶が薄い。


KinKiを知り、好きになったのが96年頃。
この頃は猫も杓子もキンキキンキキンキキンキと言う時代だった。クラスの女子は全員が光一派剛派に分かれている時代で金田一と銀狼など土9を見るのが常識だった頃。ちなみに私は剛さん派。
本格的に好きだ!と自覚し、TVなどを録画し始めたのが99年の頭。
一旦離れて再び戻ってきたのが昨年の堂本兄弟最終回。

2010年4月に今も通っている本命バンドにドハマりし、そこからKinKiにも再びハマる堂本兄弟最終回の2014.9.28まではKinKiから離れていたことは自分でも分かる。
だが3回打ちひしがれ事件という後世に残していきたい素晴らしい事件が生まれたシングル、ビロードの闇発売~2010の4月までの私はKinKiヲタとして何をしてたんだろう?
気になったので押し入れのCDやDVDたちとともに調べてみた。


そもそも私の中の“ファン”の定義としては
・CDは全形態買いし、フラゲ
・VHSもDVDも必ず買い、死ぬほど見る
・TV録画はかかさない
・アイドル雑誌は毎月かかさず
・TVジョンなどの物凄く小さい記事もスクラップ

と言うのが当たり前であり最低限じゃないか?と思っていた。
あとはコンサートに行くことや番協と言う項目があると思うけれど、私自身に関しては九州の電車も通っていないような地方住みで小中学生ゆえコンサート参加は難しかったのでそこは除外願いたい。
ちなみに出戻った今は好きならファン。それで良いじゃん。としか思っていない。
年月とは人をこうも変えてくれるものなのか…!

話が逸れてしまったが本題に戻る。

まずは2005年。
ビロードの闇の発売が2005.6.15→全形態を買っている。封も開いている。曲もすべて分かる。が、カラオケで歌詞なしで歌えるかと言われると不可能だ。以前なら当たり前だった。おっと。すでに雲行きが怪しい。
ならば少し戻ってみよう。
2004.12.22発売のAnniversaryとKinKi selection2→限定セットを買って腐るほど聴いている。PVも大好きでもうたまらんほど色んなことが甦る。うん。必死なファンだった模様。

となるとビロ闇の頃には少し気持ちが下がりつつあったようだ。

2005.8.3にアニバコンDVD発売→初日の福岡に行った。
初回を買ったがFコンを軽く300回以上見ていることに比べれば二人がどこでどういう動きをしていたのか全く言えないレベルの視聴回数。

2005.11.16にHアルバム発売→封は開いている。だがタイトルを聞かれても歌えない…

2005.12.21シングルSNOW!SNOW! SNOW!→CDの封は開いている。Mステなどの映像もキチンとDVDにまとめられている。でもやはりCWやBTは歌えない…。

2005.12.24~Hコンスタート。大阪東京のみ→思い出した…!

そうそう。先程コンサートに関しては除外願いたい…と書いたが、高校生になって親に死ぬほど頭を下げ、なんとか許して行かせてもらえていた。ちなみにFコン追加の福岡は申し込み時に高校生に成り立てで行かせてもらえなかったため未だに親を恨んでいるw

話を戻す。
Hコンで思い出した…!
この頃にはV系を好きになっていてチケ代も比較的安かったため、親にバレずにお小遣いを貯めて福岡ならなんとか行き、行く度にズブズブとハマりまくっていた。
それによりKinKi熱が少し落ち着いてきていた。
そんな思いの中、“コンサートに行けばきっとKinKi熱が再燃するはず…!!!!”と心のどこかで思っていたところに届いた幸せの青い封筒。それを開けた時の大阪東京のみの知らせに物凄く打ちひしがれたのを思い出した。

さらに隣のクラスの少し話す程度の友人が行けないと打ちひしがれてる私に「KinKi好きだよね?今度の大阪のコンサート姉が好きだから私も行くことにしたんだ~!私はそんなに興味ないけど~!」と言ってきた時にはぶっ飛ばそうかと思ったし(←)、多分その時に各々のソロであるSHOCKや堂本剛名義でも地方に来てくれないことに対するフラストレーションがかなり溜まっていたし、彼女のこの一言で好きなのに行けない自分が惨めになりかなり熱が冷めたと思う。
だからHアルバムもあまり聴く気になれなかったんだった。

…読み返して見ると我ながら身勝手だなぁ(笑)
だがこの時はそうだった。
これは田舎である私の地域特有なので他県の方にはご理解いただけないかもしれないが、高校生のバイトは県そのもので全面的に禁止であり見つかると停学になり内申書に響く。しかも狭い田舎ゆえ、バイトしようものなら即、お客さんから学校に電話がかかるなんてこともあるような所だ。よって平凡に学生生活を送るとバイトはできない。
さらに我が家は親が厳しい。コンサートそのものに行かせてもらうために相当頭を下げたので遠征費など出してもらえる訳もなく、かと言って福岡より先に遠征することは自力ではとてもじゃないができなかった。

小学生から何年も想い続け、Fコンに行けなかった悔しさを抱えたままやっとGコンに参加できた時の感動は今でも忘れないし、この喜びが毎年続くのだと勝手に勘違いしていた自分が悪いのだがそれを糧に生きていた自分にとっては唯一行ける福岡に来ないというのはあまりに辛かった。
それに親友であり山P担当のYの就職も遠方に決まっていたので二人で参加できる最後になるかもしれないから思い出に!と期待していたのも大きかった。

そんなこんなでたしかHコンについては人様のレポを読んでは悔し泣きしていたような気がする。
それが嫌になりHコン東京レポは見なかった。

Y以外にキンキ友達もいなかったので情報を集めることは自力だったしKinKi話題を共有するのもYだけだった私にHコンで勝手に味わった挫折と敗北感は大きかった。
この時にはSNSが発達していたので使えば良かったのにと…今なら思うが私はとにかくその手のことに疎かったし、何より自分と言う存在に自分が疑問を抱いているレベルの根暗人間だったので人様と交流できるようなスキルもなかった(笑)


この頃から段々と情報を集めることもしなくなっていった。
元々ソロ<KinKiの考えだったのにソロのあまりの活発化と、剛さんの己の心に素直にやっていることが受け止められなくなり心が離れ始めた。

2006年。
2006.7.26発売の夏模様
2006.11.29発売のハモデ
2006.12.13発売のIアルバム
この頃には好きな気持ちより何よりも、今更ファンをやめたくないと言う意地が大半を占める中でファン(すでにこの時点でファンとは呼べないと思うがw)を続けていたように思う。
DVDに音楽番組は収めているものの、CDシングルは全形態の封が開いていない。アルバムは封は開いているものの出戻りして聴いた所、IDしか分からなかった。特典DVDも出戻ってから初めて見た。

2007.4.25発売のシングルBRAND NEW SONG
2007.7.18発売のアルバム39
2007.7.22開催の39イベント
2007.9.12発売のシングル永遠に
2007.11.14発売のアルバムΦ

BNSを最後にシングルを買わなくなっているようだ。
39アルバムも数回のみ聴いた。
せっかく就職して自由になったのに39イベントも仕事で行けなかった。
ちょうどこの頃2004年から録りためていたHDDデータが吹っ飛び、KinKi熱が下がってからも見ていたお気に入りの映像は常に見たいし、手を付けたくないからとダビングしていなかった。(3回打ちひしがれ事件や僕らの音楽など)
大事なイベントも行けず、大好きだった頃の映像も全て失われたことがヲタクを辞めろと暗示されているのだろうか…と勝手な解釈をして自分の中でまた何かが崩れた。 

そしてこの年、好きなV系バンドがライブで私の住む県に来てくれた。
9月には今通っている本命バンドが初めて日本武道館をやったことも物凄く大きかった。
初めて遠征して感動して号泣した。
初めて記念!みたいなライブに行けた嬉しさはとてつもなく大きかった。
V系は雑誌さえ追えばTVにはほとんど出ないので地方民ゆえに「関東限定なの!?映らないぃぃぃ!ギリッ」なんて悔しい思いをすることもないのも楽だった。
コンサートもツアーそのものが小さい会場で細かく回るので休みが少ない私でもどうにかなったのも益々ハマる大きな要因だった。

この頃にはKinKi事はほとんど追わなくなっていた。
Φアルも買ったが聴いていないし、あの伝説のΦコンに関してはWSで知った。そして何度もキスを重ね~の二人を見て「うわぁ。私はテンション上がるけど…いやいやこれはちょっと…一般の人引くやろ…」と思ったほど冷静にKinKiを見ていた。仕事の休みがほとんどない状態だったのでコン参加も難しく、いまだ心の奥底でHコンでの苦い思い出を引きずっていた私は幸せの青い封筒を見ることすら苦痛になっていて、来ても封を開けることすらしていなかった。だから緊急コンの開催も福岡に来る2日前に知った。
でもMステだけは録り続けていた。KinKiが出たら見て残しておく。まだほんの少しの未練があったから。
2009.10.28発売のスワンソングまでは録ってた。2010の頭にHDDが壊れたのでそのまま録らなくなった。
そして2010年の11月。10数年入っていたFCを辞めた。このときが私の中でKinKi=過去に完全に変わった瞬間だったと思う。

ソロ事も調べてみたがエンドリケリーがタンクをし始めた頃には情報についていけなくなっていたように思う。
空が泣くからのCDはあるもの未開封。White DragonのDVDも買ったものの未開封。
光一さんに関しても初ソロコンDVDの頃は腐るほど見ていたがその後出された+million~のCDは未開封だった。

KinKiと言うグループが好きでソロ事はKinKiを成長させるための個々のスキルアップの場所という認識だったのでソロ事がメインになればなるほどさらにKinKi離れを起こしていたように思う。


こうしてCDタイトルと出した時期を書き出しながら振り返ってみたが書いていると好きな気持ちと好きでいたい気持ち、ファンをやめるのは惜しいと意地になっている気持ちなど様々な楽しい思い出や苦い思い出が走馬灯のように蘇ってきた。

今思い返せばその時に打ちひしがれたことなんてたやすいことで、自助努力でどうにかなっただろ。と思いもするが思った所で過去は変えられない。
KinKiが大変な時期に離脱し、楽しい時期に戻ってきた自分に引け目がない訳ではないがこればかりは離れてしまって また好きになってしまったのだし仕方がない。

振り返れてよかった。

離れていた間のことは仕方ないと諦めているのだが、もし…この言葉を使った所でどうしようもないのだが、もし願いが叶うとするならば初めて行ったGコン、行けなかったHとIコンの映像が欲しい。
そしてKinKiの主な事件とKinKiに関して覚えるべき場所や出来事、人などのまとめが欲しい(笑)
20年以上の年月を積み重ねたftrだからこそ尊いのだが、そんなftrを追いかけ始めた新規ファンにはその年月でのKinKiの常識が分からない。私自身分かる範囲は調べたがなかなかに根気がいるし、調べても分からないものもあり勝手に寂しくなったりする(笑)

空白の期間の整理ができたことは本当に良かったが私はHコンの挫折と敗北感を胸に抱いたままなのは変わらない。
その挫折と敗北感を拭う日を求めつつ、KinKiヲタライフを最大限楽しんでいくのだろう。

支離滅裂。