戯れ言

J事務所とびじゅある系が好き

愛ってなんだ?苦しいものか?楽しいものなのか?

頭の中をKinKiのlOve in the Φ(※Φアルバムの中の一曲)がずっと流れている。その歌詞の中の一節がぴったりだなぁと思ったのでタイトルにしてみた。

 

「誰かのファンでいること」

 
ただそれだけのことなのに、でもただそれだけでは済まなされない何かがある。だが1つ、「自分の理想とするファン像」と「推しに理想を求める自分を正当化すること」への固定概念にとらわれたら終わりだなと最近よく思う。
正確に言うと終わりの始まりだなーと思う。
 
自分の中で「〇〇しなければファンと名乗れない」と思う事項が多くなり、できない自分にイライラし、「私はファンだと名乗る資格がない」と疲弊する。
挙げ句の果てには「雑誌も碌に買わない人にファンだなんて名乗って欲しくない」と他の人に矛先を向けることになったり…。
その内好きなアイドルにすら「なんで私の思う〇〇をしてくれないの!」と勝手なことを思ったり、アイドルやアーティストを取り巻く環境にすら文句を言い出す。
こうなるとファンを辞めるか、自分が低俗なファンになってしまっていることすら気付かず生きていくことになる。どちらにしろ終わっている。
 
そもそも「ファン」に明確な定義なんてものはないし、「好き」と言う感情があるならそれだけで良いのではないだろうか。
「私みたいなにわかがファンだと名乗って良いのか…」と悩む人がいるらしいので言わせていただきたい。
 
良いんです!!!!!!!!
 
ファン歴によっては分からないことだってたくさんある。
私だって分からないことが腐るほどある。
でもそれで何の優劣が付くのか。
私達はアーティストやアイドルなど推しの親族でも友達でもなんでもなく、ましてや本人の気持ちなんて本人にしか分からないのだから考えたり感じたりすることはできても全ては絶対に分からない。
 
雑誌を買う、CDを買う、DVDを買う、TVを録画する、コンサートに行く、グッズを買う。
買う方がアイドルにとってはお仕事の成果が上がるのだからとても意味のあることではあると思うがそれはこちらの「義務」ではない。
 
これは私自身が一度ジャニーズ離れをしたからこそ気付けたことでもある。
離れる前はそれこそ雑誌全買い、CD複数買い、DVD初回通常買い、TV全録画をしてこそファンだと信じて疑わなかった自分がいる。
でも離れる前の数年は「ファン」だと言える“資格”が欲しいがために興味が薄れてきていたにも関わらずCD複数買いなどを続けていた。
結果どうだろう。封の開いていないCDが棚に並び、何の幸せも得られていなかった。
トキめいて嬉しくなって幸せをくれるからこそお金を使いたい!義務と化した私はそう思うことすらできなくなっていて、あった思いは苦しさと悲しさと私を夢中にさせてくれないアイドルへの不満だけだった。でもその義務すらも愛だと勘違いしていた。
今思えばそんなもの愛でもなんでもなくて自己満オナニーだったんだなと思う。
勿論、生身の人間を好きになるのだから、愛ゆえに悩んだり落ち込んだり涙したりはある。だがそこに愛があるならそれを上回る幸せもあるはず。
 
私は変なモンペになりはしたがこの自己満な愛を悪い行動に移すことなくファンを終えただけ良かった。
 
それからしばらく脱ヲタを経てV系バンドに夢中になった。
また二の舞を踏むかと思いきや、それからできた周りの友人たちに固定概念をぶち壊してもらって今日がある。
「ライブにたくさん行く人がファン」「CDたくさん買う人がファン」とかそんなことを言う人がおらず、ただとにかく好きだから楽しむ。
「楽しいから行く所増やす」「モヤモヤするから行かない」「CD聴いてないけどライブ行きたいから行く」「ライブは行けないから家でCD聴く」と色んな人間が集まっているが誰も他人を否定しない。
他人のことに目を向けて嫌な気持ちになるよりも己の気持ちに素直に生きて好きな人を見てトキめくこと、楽しむことを最優先させている友人に恵まれたおかげでどんな形でも「好きならばファン」それで良いじゃないか。そう思える自分に変えてもらった。
 
「義務」を果たしていった先に喜びがあるのか。きっとない
好きになることに「資格」も「義務」も「責任」もいらない。
 
己の気持ちに素直に生きれば良いと思う。
そこに他人と比べたり、他人を傷つけたりする感情は必要なくて。
 
ただただ好きな人を見て楽しんで幸せになってたまに悩んで苦しくなって現実を見る。
それだけでヲタク人生って素晴らしい!と私は思う。
 
そしてもし何かあった時には小島よしおの<そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!>を思い浮かべると良い。
大抵のことはそれで片付く。